感情と理屈と
僕らは、必ずしも理屈や論理で行動してるわけじゃない
「ヨンさまってカッコいいじゃない?」
「長島監督じゃなきゃ、巨人は駄目だよ。」
「民主党?駄目駄目。自民党が与党のほうがいいんだよ」
もともと感情や好みが行動や選択の大部分を占めて、公平かつ客観的な視野や思考などを、僕らは始めから備えてなどいなかったのではないか?
「人は強く大きな存在に対して、立ち向かっては行かないのです。それは映画や小説の中での話。現実は、弱く小さいものを叩くことで優越感に浸るのが人間なのです。」
引用 ドラマ 女王の教室より
確かにそうだなと思うし、それが動物の基本本能なのではないかとも思う。
ストレスや欲求不満が溜まると、人は身近な人(弱い人)に当たってしまう。
もし仮に理屈や論理で行動しているならば、人は差別やイジメなどしないはず。
民族問題も犯罪も戦争の原因も、視野の狭さやストレス、欲望から発生しているのではないか?
僕自身も最近、仕事のストレスで目つきや人相が歪んでいってるのがわかる。
僕はそれが許せない。そうなっていく自分が許せなかった。
過酷な環境で、自分が自分でなくなる感覚が許せなかった。
人を欺かず、騙さないでお金を得たいと思った。
そして、自由に人間らしい生き方をしたいと願った。
だから僕は、人より努力しようと思った。
それは、誰よりも必死に勉強をしてスキルをつけて、自由に生きられる術を身につけるということ。
勉強というのは、教養や優越感を得るためにするんじゃない。
生きるための勉強。
そして僕が僕であるために、僕であり続けるためにする努力。
結局は最後に僕自身を守ってくれるのは
感情や好みなどによる行動結果ではなく
法と 知識と 柔軟な思考と 人の温かさ
そうであると 僕は 信じているのです。
| 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)



最近のコメント